くじら糖

Anti-Trench 向坂くじらです ある程度まとまった分量のことをかきます

二度とビームは撃たない

 

高校生のころ夢日記をつけていた。

好きなゲームの影響で、熱狂的に明晰夢が見たかったのだ。そのためには夢に対して意識的にならねばならず、それには夢日記がもっとも効果的だ、と、オカルトサイトで読んだのがきっかけだった。夢日記をつけると気が狂うとも書いてあったけれど、まあ、それもまんざらじゃなかった。

 

結果、自由気ままってほどでもないけれど、いまでも他人よりは夢のあつかいがうまいと思う。
明晰夢を見るのに絶対必要なスキルに「夢のなかでここが夢だと気づく」というのがある。というかその状態を明晰夢という。そのために、「これができたら夢だ」と判断できるファクターを持っておく、というのが、明晰夢を見るための定石である。
定番は「空を飛べたら夢だ」というやつで、これは落ちる系の夢を多く見る人と相性がいい。まず、落ちはじめたときに「落ちてるってことは夢じゃないか?」と疑う。そして飛んでみる。飛翔でも浮遊でも滑空でもイメージはなんでもいい。だって夢なら飛べる、飛べたら夢だ。そうしたらもうようこそ明晰夢の世界へって感じで、あとは思いのまま。

わたしはわりと落ちる系の夢をみるのでこれを採用してもよかったのだが、問題として、現実で「ここは夢だ」と誤認したときに飛び降りて死ぬリスクがあった。
明晰夢に必要なスキルその二、あきらかな覚醒時でも、「いま、ひょっとして夢かな?」と疑いまくる。これも重要だ。いくら荒唐無稽な夢でも、見ている最中は現実きぶんでいるものだ。だから、これ以上なく現実きぶんのときだろうが、定期的に、自動的に、夢かどうか疑うくせを日頃からつけておく。これをストイックに習慣化するほど、夢のなかでもその可能性に気が及びやすくなる、そして、同時に誤認のリスクも上がるのである。夢だと思ってました、で飛ぼうとして死んだらほんとうに狂人だ。

 

なので、「ビームを撃つ」を選んだ。
ビームだ。きいろい光線。夢のなかでは、口をぱかっとひらくとたちまちビームが射出され、窓やなんかを貫通する。ことにした。現実で多少口をあけてもまあ、大丈夫だし、わたしは現実では絶対にビームは撃てないから安心。夢のなかでは、撃てる。口の直径そのままの光線が、無機質に周囲を照らしながら、パスーン、と、なんであろうと口の直径そのままの穴をあけてふっとばす。

 

ちょっとでもおかしいな、と思うと、口をあける。
野生の虎が自宅のまわりをうろうろしている。? おかしい。ぱかっ。撃てた! 夢だ。ビームで虎を撃退する。
ベッド脇のぬいぐるみに足がふえている。? ぱかっ。撃てた! 夢だ。ベッドを抜け出して窓から飛び立ち、夜空へ繰り出す。
保健室の天井のもようが、水にまるく浮く油のように動いている。? ぱかっ。撃てない。夢じゃない。わたしがおかしいだけ。
古文の教師がメイドの格好で教壇にあらわれる。ぱかっ。撃てた。夢だ。
真冬、渋谷のど真ん中の路上にクロアゲハの死体。ぱかっ。夢じゃない。これ夢じゃねえのか。
筆箱の中身が一本たりない。ぱかっ。夢だ。
枯葉が一枚だけ不自然にくるくるまわっている。ぱかっ。夢じゃない。
クラスの女の子がわざとわたしの机にぶつかり、シャーペンの線がぶれて罫線を逸脱する。ぱかっ。夢じゃない。ぱかっ。夢じゃない。ぱかっ。ぱかっ。
バスはゆれているのに、外の景色が止まったまま動かない。ぱかっ。夢じゃない。
好きな現代文の先生がわたしじゃない子をひいきしている。ぱかっ。夢だ。だよねー。
不条理とまぼろしとに馴れあった十七歳のわたしの暮らしに、この習慣はあっさりと根づいた。わたしは月に数回のペースで明晰夢を見ることに成功し、校舎に何回も穴があいたり、あかなかったりした。

 

そのうち、ある実感に至る。
夢日記をつけると気が狂う」といううわさは、たぶん、本当だ。
本来、夢は見るそばから忘れていくはずのものなのだろう。それをわざわざ書きのこし、記憶にとどめておくことの、瑕疵、みたいなものが、次第に日常を侵食しはじめた。いま現在が現実か夢かわからなくなる、という事態こそビームのおかげで起こらなかったが、問題は思い出だった。過去あったことを思い出すとき、本当にあったことも、夢で見たことも、同じように思い出せる。それが、現実か夢か、まったく区別がつかないのだ。
これはよくなかった。かつて喜んだことや悲しんだことがすべて曖昧になってしまうのをおそれ、また大学受験で忙しくなったこともあいまって、わたしは夢日記から手を引いた。同時に、逐一夢かどうかを検証するくせも、ゆるやかにやらなくなった。



大学を卒業したいまでは、前述したとおり、「他人より多少夢のあつかいがうまい程度」に落ち着いている。夢のなかでも走れる。入眠時、意識を落とさないまま夢に入っていくことができる。追いかけられる系の怖い夢では、基本相手を倒すことができる。

ただ、歯が立たない相手もいる。
好きになった人、死んだ人、縁が切れた人、は、いやな夢の常連だ。彼らが出てくるとうんざりする。夢のなかで気づいて対抗するほどの不快感はないが、だからこそ起きてからじわじわとダメージが深くなる。夢で仲良くなんてしていようものなら最悪。三日くらい引きずる。

 

そのひとり、大学に入る直前に絶交した友だちの話をしたい。
彼女は頭のいい子だった。成績も振る舞いもいいタイプ。理系で、自動車が好きで、エンジニアになる夢を持ち、国立大学を目指していた。極端な文系だったわたしは、自分にないものを持つ彼女を尊敬し、あこがれた。ふたりとも小説を書く趣味があり、ときどき帰り道をいっしょにすごした。
その彼女が、高校三年生で急に文転した。なんのことはない。倫政の若い教師に恋して、彼の卒業校で教師を目指すことにしたらしい。おもしろくない。本当におもしろくない話だと思った。彼女の進路が決まったころ、メールで教育について語る彼女にわたしが噛みついて、つまらない口論をして、それで、終わりだった。
数ヶ月に一度くらい、彼女は夢のなかにあらわれる。いまの彼女のことをなにも知らないから、高校のころの姿で。都合のいい夢だ。わたしは謝り、彼女は赦す。やにわに目を覚ます。まただ。また同じ夢を見てしまった、と思う。

 

大学の友だちに連れられて行った飲み会で、彼女と再会する。
やっぱり高校のときと変わらない姿で、すこし離れた席にすわっている。そんなはずはない、どうして、連れてきた友だちを問いただすと、もともと知り合いだったんだよ、友だち? などといわれる。
当の彼女はわたしに気づいているのかいないのか、なぜか先に店を出ていってしまう。あわてて追いかける。
「待って、行かないで」
そこでようやく目があう。店の入り口から洩れる灯りが、彼女の横顔を照らす。
「ごめん、怒ってるよね、ずっとちゃんと謝りたかったんだよ」
困ったような顔で押し黙っている彼女を前に、わたしは立ったまままくしたてる。あのとき、本当にごめん、本当に、ずっと後悔してた、きみと仲直りするのを何回も夢に見たくらいなんだ、そこでハッと気づく。
そうだ、そうだった。わたしはさんざん夢に見て、さんざん最悪の朝を迎えてきた。はげしい既視感。まさか、これも。目の前の光景がにわかに現実味を失いはじめる。やばい、でも大丈夫。そう、こういうときどうするか、習慣こそなくなったものの、まだ身体がよく覚えている、
ぱかっ。
その瞬間、目の前で彼女の顔が、口の直径そのままの穴をあけて吹っ飛んだ。ご丁寧に、返り血がぴしゃりとわたしの顔に跳ねかえる。


撃てた。


二度とビームは撃たない。飛び起きたベッドのなか、肩で息をしながら、わたしは誓う。二度とビームは撃たない。



電車のなかにカナブンが迷い込んでいる。電灯にぶつかってはぜるような音をたてる。

告白を断った男から連絡が来る。
肩に鳥の羽がくっついているのを見つける。
ベッドがまるごと水に浮かべたように揺れている気がする。
雨が降るなか傘をとじたまま提げた女性とすれ違う。
母と弟が怒鳴りあっている。
蛍光灯が切れかかっていて眩暈がする。
友だちがマルチにハマる。
家の中に貝殻が落ちている。
指先が見覚えのない黄色に染まっている。
ふとつらかったことを思い出す。
排水溝にありえない量の髪の毛が詰まる。

わたしはそれらすべてに唇をむすんで耐える。夢か現実かわからなくなることが、いまだにときどき訪れる。
もう、あまりわかりたいとも思わない。