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くじら糖

Anti-Trench 向坂くじらです ある程度まとまった分量のことをかきます

「逃げてもいい」と言ってもらえる日のために

九月一日、勤め先の塾に来た女子生徒が、私の顔を見た途端に泣きだしてしまった。

 

もともと人付き合いが苦手で、夏休みのはじめには「学校に行かなくていいだけでしあわせ」と大喜びしていた子だった。勉強も苦手だったが、塾に通い始めてから奮起し、勉強してこなかった焦りと戦いながら志望校に向けて努力してきた生徒だ。

もうやだ、とその子はいう。

夏休み中、文化祭の準備に行かなければいけない日が何度もあった。その子もはじめは参加していたものの、だんだん勉強時間をとられる焦りと学校へ行かされるストレスで起き上がれなくなる。
結局、休んで勉強することを選び、始業式で久しぶりに学校に行った彼女は、クラスメイトと担任教諭の双方に責められたらしい。

 

「みんながんばってるんだから、○○さんだけ特別扱いはできない」
「推薦受験の子は○○さんより早く受験なんだから、もっと大変なのに」
「そんなの『わがまま』でしょ」
「文化祭に参加しないと悔いが残る」
「みんなと準備したら気分転換になってちょうどいいんじゃないの?」
「ちょっとでも楽しいと思わないの?」


九月一日は十八歳以下の子どもの自殺率が一年でもっとも高い日だ。
最近ではその事実が広く知られるようになって、「死ぬほどつらいなら学校になんか行かなくていいんだ」「逃げていいんだ」という文言を少しずつ目にするようになった。
わたし自身は、十七歳の九月一日に死線を越えている。
暑さがやわらいでいくにつれ猛烈な吐き気と不眠に襲われたのを覚えている。学校に行くバスをいくつも寝たふりで乗り過ごし、すべてに「死ね」と念じていた。「死にたい」といったらほんとうに死んでしまいそうで怖かった。
そして、そのままなんとなく生きのびた。
とくにきっかけや救いがあったわけではない。一日一日を死にぞこなって、気がついたら死ぬほどでもなくなっていた。


それから六年目になる今年、父がニュースで「九月一日の自殺率」のグラフを見ながら、「へえ。べつに意外でもないけどね」というのを聞く。

 

「え、でも、夏休みが終わるからってことだよ」
「わかってるよ。だから一年で一番憂鬱なのがいつかって言われたら九月一日でしょ」

 

「学校に行きたくなくて死ぬ」というのは父にとってノーマルなことなのか?
動揺していると、テレビから以前夏休みの終わりと共に亡くなった子のエピソードが流れはじめ、それを見た父はつづけた。

 

「あ、なんだ。いじめとかそういう行きたくない理由があってってことね」

 

おどろいた。
あっけらかんとスイカとか食っているこのひとは、もし2011年の晩夏に娘が死んでいたらどう思ったんだろう。
学校はどんな理由があっても行くものだ、高校生の貴重な時間を大事にしろ、友だちをつくる努力をすればいい、と言ったその口で、死ぬなんて思ってなかった、相談してほしかった、と言っただろうか。晴天の霹靂みたいな顔で。

 

じゃあ死んどけばよかったなと一瞬思った。

 


女子生徒いわく、文化祭の準備は十月頭まで続くという。
その間、受験勉強が滞ることが彼女の苦痛になる。勉強を妨げるのが好きなことならまだいい。学校が嫌いな彼女にとっては文化祭も、クラスメイトと協力してなにかを作り上げることそのものも、無意味にしか思えないのだ。

 

「わたしが、受験勉強余裕で、文化祭の準備しても余裕で受かるならよかったよ。でもそうじゃない。いままで勉強してこなかったわたしが悪いって言われたら何も言い返せないけど、でも一般でがんばるって決めたのに」

 

そう言ってまた泣いてしまう。学校休んじゃえば? と言われても、親がそんなこと許さない、という。

 

「学校行きたくない。べつにサボって遊びたいなんて言ってない。勉強したいって言ってるんだよ」

 


彼女が受けているのは暴力だ。
「勉強したいのにできない」という環境は、たとえばその根源が貧困であったり、DVであったり、性差であったり、身体障害であったりしたら、即座に問題視され、改善を求められるだろう。
それなのに、彼女は誰にも救われない。
「学校行事に力を注ぐのは、誰にとっても楽しく、意義あることに決まっている」という押しつけが彼女を傷つけ、追い詰めていることに誰も気づかない。

亡くなった子のドキュメンタリーを見て「そんなに行きたくないなら逃げればよかったのに」と半ば寛容に、半ば冷たく、言える人たちの誰一人として、目の前で苦しんでいる彼女ひとりに「逃げてもいいよ」と言ってやることができない。

いまなら分かる。十七歳のわたしも、そんな風に見捨てられてきた。

 

「学校を休まないと受験勉強が間に合わないのは、いままでサボってきた自分が悪い」と言われてしまうかもしれない。それは確かにそうだ。
しかしその安易な自己責任論は、今までの自分を反省しここからがんばろうと決めた彼女の努力を、決して否定しえない。過去を省みて自らを変えていく努力は、努力の中でもっとも難しく、美しいから。
しかしそのような努力も、否定され続け、阻まれ続ければいずれ折れてしまう。
彼女の努力を無碍にし、「わがまま」と罵る一方で、「仲間と力を合わせること」や「集団に参加すること」、という自分が認めた努力だけ、それも学歴や就職という形で将来につながっていかない努力だけを無責任に押しつける、これが暴力でなくてなんというのか。

 

ふだんは快活なその子が、一歩ずつ死に向かっていくのが見えた気がした。

 

 


じつは、わたしの人生には、「人死なないでほしい」という漠然とした目的のようなものがある。

人生の選択肢に「自殺」が加わった日から、世の中で起こる自殺が他人事でなくなった、とでもいおうか。「学校」という共同体が引き起こす自殺はなおのことだ。あの逃げ場のなさ、「友だちと仲良くするのは楽しいに決まってる」という曇りのない抑圧を忘れられない。
だからいまでも、誰かが制服のまま亡くなるたびに、自分がひとり死んでいったような気がする。

 

それで、毎年九月一日には無力を噛みしめる。今年は特につらかった。大学最後の夏なのもあいまって、わたしは制服を脱いでから何をしてきたんだろうと考えたりした。


でも、一生「自殺予防した」とか「いのちを救った」なんて思えないんだろうな、と、同時に思った。
つながったいのちは見えない。
当たり前のことで、十七歳のわたしは生き延びて、自死予備軍ではなかったことになった。それは何もかも忘れられるようでくやしいけれど、でもわたしの断然たる勝利だ。わたしがたったひとりで持っている勝利だ。
おまえは何も知らずスイカなど食っていればよい。

 

だから、「いのちを救う」ことはいつも結果だ。
事実、わたしも今日その子の涙を見るまで、彼女がそこまで追い詰められていると気づかなかった。彼女に「ちょっとでも楽しいと思わないの?」と聞いて憚らない担任や、学校を休ませてくれない親もそうだろう。
私たちはいつも油断して、そして、失う。


だから常に目をあけていなければならない。そして成果のよくわからない試行錯誤を続けなければならない。すべてが終わったあとに、外側から「なーんだ、大したことなかったんじゃん」と言われながら、ともかく今につながったいのちを慶んで暮らしていくしかない。

 

その中で、死の淵にいる人たちが、
泣きやんですぐ英語の参考書へ向かったきみが、
理不尽に否定されても努力することをやめずにいられるように、そして傷ついたことを見過ごされても生きてゆけるように、わたしたちができることはなんだろうか。


「逃げてもいいよ」と言ってくれる社会は、いつほんものになるだろうか。