くじら糖

Anti-Trench 向坂くじらです ある程度まとまった分量のことをかきます

会ったことあるひと死んでしまった

2019.05.19

日記

 

 

会ったことあるひとが死んでしまった。

「友だち」ということばを使うのが苦手で、「知りあい」とか「こないだ会ったひと」とか「付き合いのあるひと」とか、あとはまあふつうに「◯◯さん」とか、てきとうにごまかしてしまう。じぶんが「友だち」と呼びたくても相手がそう思っているとはかぎらないし、もしお互いそう思っていたとしても、「友だち」と呼んだ瞬間になにか関係が固定されてしまうような気がして、まごまごする。

そのひとのことも「友だち」と呼びづらい。もしそのひとが死ななくてもこれからも、少なくともあと何年かは呼ばなかったと思う。

 

「亡くなった」ということばもうまく使えない。
五年くらい前に自死をえらんだ友だちのことも、わざと悪ぶるみたいに「死んだやつ」「死んだ男」と呼び捨てがちで、子どもっぽいなあと思うけれどなおらない。「亡くなった」なんて、死のことを懐紙でつつむみたいで、いやだ。照れくさくて、口惜しくて、落ちつかない。

仲良くしているひと、でも、よく会うひと、でも、かといって知らない女の子、でもなく、まあ、会ったことあるひと、くらいかな、というひとが、死んでしまった。

 

 

きょうはそのひとのための会があったらしく、わたしはそれを、広く告示されるよりも前から知らせてもらっていたのだが、いけなかった。単に用事で遠方にいたのもあるけれど、それよりもなんとなく、いけなかった。(ほんとうにどうしても行きたいと思ったらいくらでもどうとでもできたはずだ)もしも行ったら、わたしはまちがって「友だち」といったり、だれへの配慮でもないのにぺろっと「亡くなった」といったり、それに類することをするだろうと思った。血が通っている唇のなんと軽いこと。

会に行くであろう、わたしを知っているひとの顔も何人か浮かんで、わたしがなにも感じていないように思われるのはいやだなあと思った。でも、べつに、それを理由に行くのもへんだし、他人にどういうふうに思われたいとか、そういうこと自体がそもそもどうでもいいことだった(この文章が弁解らしくなっているのもいやだけど、でもそういう面もあるのかもしれない、会があったことを思って書きはじめたものだから)。

 

 

そのひとが死んだ報せを受けた直後、少しのあいだ、思春期のころ死が持っていた引力を思いだしてしまって、困った。いまはどちらかといえば死にたくないとはいえ、生きていることのほうが不自然に思えて、たまらなかった。そのひとが死んだということに納得がいかないあまり、じぶんが生きていることにも納得がいかなくなった。望んでいるかどうかにかかわらず、死ななければいけないような気がした。

知ってから何分かあけていきなりヒーンと泣き、そのあと涙で腫れた目をいやすために冷水で顔を洗い、そのあと、そのあとだ。そのあと、化粧水を塗って、あしたに備えてしまった、それが、そのときほんとうに最悪だと思った。

 

そのあと、とっさに、共通の知り合いで強く影響を受けそうなひとに連絡をとって、生きていてねというようなことをいった。それは自分にしては建設的な行動でもあったが、その局面で建設的であることは重要だったんだろうか?
「せめてあなたには死んでほしくない」という気持ちが、かんたんに「ふたり死ぬよりはひとり死ぬほうがいい」と言い換えられてしまうのは、すごく怖い。でも同時に、でも、「あなたには死んでほしくない」はほんとうに、ほんとうである、とも、思う。

 

 

訃報の翌日、目を血走らせて百円寿司を食べた。
わたしが死んだら、わたしに死なれたひとが、いまのわたしと同様に死のほうへ引っぱられるかもしれない。それを予期して恐れ、どうにか人生に踏んばろうとしていたのだった。へんにごはんを抜いてしまったら、またへんに高価なものを食べたり過食をしたりしたら、じぶんを生かそうとする体力が弱まる感じがして、それで、百円寿司だった。まぐろを四貫と、茶わん蒸しと、味噌汁を食べた。

 

ひどくぼんやりしながらも、「わたしが生きるか死ぬかということは、わたしだけの問題ではない」ということを、強烈に感じつづけていた。
関係に序列をつけるわけでもないけれど、血のつながりもなく、ふたりでゆっくり話したこともない、「会ったことあるひと」が死んだことさえも、すこしは、わたしの問題でもあったのだ。わたしが死んだら、それは、けっこうな数のひとの問題になるんじゃないだろうか? ありがたいことに、そして、重たいことに。

そのとき、そのことが明確にわたしの生命を守っていたと思う。

わたしの生命はわたしだけの問題ではない。

 

 

そのひとは遠くに住んでいたのでほんとうに何回かしか会ったことはないが、一度長いメッセージをもらったことがある。「正直あなたのことが苦手です」とはっきり書かれたメッセージだ。

わたしの書く文章やふるまいが、「大人らしさ」にすぎないと指摘し、「薄い氷の上を歩くよう」だと評した上で、「消費されないで、もっと自分を労って生きてください」なんていう。

わたしはそれがけっこううれしかった、そんなふうに正直になってもらえることなんて、人生に数えるほどしかないのではないだろうか。

メッセージはこうしめくくられる。

「きっと10年後もお互い続けていられると良いと思っています。
その頃にはなんか、漸く、おしゃれで大人なイタリアンバルとか知ってて、一緒に行けたらうれしいです。
でも、大好きだよー」

いま読むと、はあ? と思う。ほかは依然としてうれしい、いかに苦手だといわれていてもうれしいが、こればっかりは、はあ? だ。
わたしもそう思っていた、いや、イタリアンバルじゃなくてもべつにいいんだけど。

 

 

わたしが訃報を受けて真っ先に連絡した「強く影響を受けそうな知り合い」のうちひとりには、そのあと会いにもいった。そいつは死んだひととの縁が深く、たぶん苦手とも思われていないし、「友だち」とも呼べるのかもしれない。

会いに行ったら、そいつはなんだか知らないが訃報にめちゃくちゃ怒っていて、びっくりした。たしかきょうの会にも行っていないんだったと思う。
なんで怒っているのか聞いたはずだったけれど、ほとんどわからなかった。ひとは訃報に対して、怒ることもできるのかあ、と思った。

 

 

とかいっていたら先日、まったく関係ない幼なじみから、いまから死にますと電話がかかってきた。一度かかってきて切れてしまったので、ありえないほどリダイヤルして、ようやくつながったとき、わたしも幼なじみもしんしんと泣いていた。

わたしは覚えたばかりの理屈で、「だからね、◯◯ちゃんが生きるか死ぬかっていうことは、わたしの問題でもあって、◯◯ちゃんだけの問題じゃないんだよ!」といってみたが、幼なじみは「勝手なこといわないで、親にも恋人にも死ぬなっていわれるから、くじらちゃんだったらそんな勝手なこといわないと思って電話かけたのに」と怒るばかりだった。

もうそうなると説得もなにもなく、「なんでもいいけどわたしは死んでほしくないんだよ……」と訴えるしかできない。
最終的には母を経由して幼なじみの親に連絡をするという無慈悲な手段をとり、幼なじみは「しょうがないな〜、じゃあ『今日は』死なないことにするよ」などと悪態をつきつつ実家に輸送された。

 

 

けっきょく、わたしはゆるやかに死の引力から逃げのび、とりあえずふつうに暮らしている。怒っていたやつはどうだろう、まだ怒っているかもしれない。

きょうもけろっと元気に過ごしていたが、これを書いていたら急に涙が出てきてびっくりした。
すっかり忘れたようにしているけれど、一切思い出さないのはむずかしい。都合よく、たまにままならず、忘れたり、思い出したりして、暮らしている。

ぜんぜん終わったことにできてはいない。
死ぬことは取り返しようがなく、どうしようもなく終わった問題だけれど、わたしの問題としてはぜんぜん終わっていない。むしろはじまってしまったといえる。いなくなったことによって、「いない」がはじまった。

ふしぎなことに、その「いない」が、そのひとがわたしのなかからまったく消えてなくなることを、なんとか防いでいる。

 

 

この断片的で些細なメモのようなものは、まちがっても追悼ではない。ましてそのひとのためでもなく、かといって、断じてわたしのためでもない。
ただ、書きはじめてしまった。書き終えた感触がないまま、ここでいったん書くのをやめることにする。